熊本地震が起きたのが2016年5月14日。
もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。
生活も落ち着いてきたし、この体験は記録に残しておいたほうが良いかな?と思い、思い返しながら熊本地震の体験をつづろうと思います。
5月14日 22時7分頃。震度6弱。
その時はちょうどお風呂に入っていて、上がろうとしていたところ。
4歳の次男も一緒でした。(入るの遅すぎとかつっこまないでください。^^;)
うちは道路沿いの家なので、大きなトラックでも通ったかな?と最初思っていたら、次第に大きな揺れに!
立っていられなくて、子どもを片手で捕まえ、逆の手でお風呂の手すりにつかまって耐えました。
一瞬停電しましたが、すぐに電気はつき、少し前に帰った旦那を大声で呼び、子どもを預けました。
私もほとんど拭くこともできず、濡れた状態で服を着て、家の外へ。
外に出ても、ドォーンとかゴォーっていう大きな地鳴りの音が聞こえ、何度も地面が大きく揺れました。
あちこちで、瓦がガラガラと落ちる音。
悲鳴も聞こえたりしました。
近くの義実家に行ってみましたが、義両親も無事。
すぐに別県の父から携帯に電話があり、その時はつながりました。
しかし、その後は母や姉にかけるもすぐに切れてしまいつながらず。
LINEはなんとかつながり、無事であることを告げました。
その間も大きな揺れや地鳴りは続きます。
揺れがおさまっている時に毛布を取りに行き、私と子どもたちは車を車庫から庭に出して、その中へ。
その時は、まだ家電などは落下していませんでした。(思えば、この時、きちんと安全な場所に置いとけばよかった・・・)
5月15日 0時3分頃 震度6強
子どもと私は車の中にいましたが、主人は家に入ってニュースを見ていました。
危ないって言ったのに・・・。
0時すぎに激しい揺れ!
これって、さっきよりすごくない?!
車は激しく揺れ、ひっくりかえるんじゃないかとドキドキしました。
主人はちょっとして出てきましたが、家の中ではいろんなものが落下してすごい音がしていたそうです。
「だから危ないって言ったじゃない・・・」
外では前回よりひどく瓦が落ちる音が響いています。
家の中もどうなっているのか・・・。
でも、とてもじゃないけど恐ろしくて家の中には入れませんでした。
その夜は4人で1台の車に車中泊。
地震は怖いし、足はのばせないしでとても寝れたものではありませんでした。
夜が明けて、家の中に入ってみました。
想像以上にめちゃくちゃな状態・・・。
特にひどかったのはキッチンです。
食器棚が開いて、皿という皿が床に割れて散乱。引き出し類も全て開いています。調味料も床に・・・。電子レンジはへこんで扉がとれてしまっていました。
冷蔵庫は1m以上前に移動。ダイニングテーブルや寝室のベッドなど重くて動かないだろう?と思うようなものが大きく移動していました。
本棚からは本が落下して散らばり、押し入れの布団なども扉が開いて落ちています。
(本棚が倒れなかったのは転倒防止のグッズを下に敷いていたからかもしれません。)
プリンターも落下。
幸いパソコンは無事でした!
壁のクロスはビリビリと破れ悲惨な状態。玄関のタイルも割れて落ちています。
それでも、家が傾いたりしていなかったのは不幸中の幸いです。
15日の日中はまだ大きな揺れもあるし、どうしようもないので、片づけもせずに玄関に近いところで過ごしました。
当然、子どもは中学校も保育園もお休み。
主人は、お水や食べ物を買いに近くのお店へ。
めちゃくちゃになってるけどナフコが開いていたので、床に落ちているものから食べ物などを探して購入してきました。
でも、食べ物っていっても、チョコレートとせんべい、カップ麺少々で、ほとんどなかったらしいです。
お水は1ケースだけ購入できました。
(15日の時点では、うちは井戸水でまだきれいな水が出ていたので、飲み水はありましたが、念のため、と。)
主人の話ではお店もほとんどが開いておらず、道路もいたるところがひび割れたり、家の塀などが壊れていたそうです。
ちょっと激しい揺れがあると慌てて、玄関から外に出るということを何度も繰り返しました。
地震が起こる前って、決まって「ドォーン」って音がするので、それが聞こえるとビクっとしていました。
夕飯はカップ麺を食べました。
普通にご飯を食べられるということがどれほどありがたいことなのかしみじみ感じましたね。
4月16日 1時25分 震度6強
この時、私は次男とベッドで寝ていました。
念のため、メガネはつけたまま、靴下を履いた状態です。
もう大きな地震は来ないだろうと思っていたのですが・・・
甘かった・・・。
激しい揺れで目が覚め、揺れている間は次男を抱きしめてベッドの上から動けない状態。
揺れが収まると慌てて家の外に靴も履かずに飛び出しました。
本当は履いたほうがいいんでしょうけど、その余裕がありませんでした・・・。
主人には、長男と和室で寝るようにお願いして、先に寝たのですが、なんと長男より先にソファーで寝てしまったらしく、長男はあれほど言ってのに二段ベッドの上で寝ていました・・・。
子ども部屋に電気がついていて、主人が長男を起こしていましたが、長男は起きない様子・・・。
私が窓を開け外から大声で叫ぶとようやく起きました。
ホントにもう・・・。
よくベッドも倒れなかったよね・・・。
外に出ると、やっぱり瓦の落ちる音と、ドォーン、ゴォーという地鳴りが鳴り響いています。
今回は少し気が緩んでいたこともあり、2回目より怖くてちょっと震えてしまいました。
それから車の中で寝ましたが、やはりこの日も眠られず・・・。
車中泊はきついです。
朝がきて、家の中はさらにクロスがビリビリに。
でも、昨日既にめちゃくちゃだったので、変わらないと言えば変わらないかも?
少しは片づけをしようかと、キッチンの片づけに着手。
洗濯もしようかと洗濯機をまわし、キッチンでお水を出したところ・・・
水が茶色に・・・。
え!!
びっくりして洗濯機の中を見ると、洗濯機の中の水も茶色に!
どうして~?!
お水が使えなくなり、ちょっとパニック。
食べ物もあまりないし、水も出なくなった?
ガズボンベも鎖で止めてあったのがはずれて、しまい使えない状態に。
結局、旦那の実家が畑の傍の井戸水が透明なので、それでご飯を炊き、お昼は外でおにぎりを食べました。
役場も機能していないのか、避難所の情報や、給水所の情報、支援物資の情報などは一切放送が流れてきませんでした。
隣の町のばかりやたら聞こえてきます。
一体何をやってるんだか・・・。
驚いたのは家の前の道路が陥没してしまったこと。
最初は一か所だったのが、どんどん連なるようにして落ちてしまいました。
私の住んでいる町でもこんなにひどいのはたぶん、ココだけ。
子どもたちが「お腹すいた~」と言うものの、食べ物があまりないのでお菓子などは少しずつあげました。
私も、いつ食べ物が手に入るのかわからないので、できるだけ食べないように。
地震のせいで痩せたかも・・・。
父や姉が宅急便で何か送ろうか?と電話してきたものの、宅急便も受け付けていない状態なのでお願いすることもできませんでした。
支援物資をめぐっては、近所の公民館などで別地区の人が入っているとあげない、などのトラブルも起きていたそうです。
こんな時に悲しいですね。
自分たちはまだ車も運転できるし、家も住めるけど、一人暮らしのお年寄りで被災された方はどうしてるんだろう?
避難所にいる人たちは家を離れて今後のことがすごく不安だろうな、とかいろんなことを考えました。
もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。
生活も落ち着いてきたし、この体験は記録に残しておいたほうが良いかな?と思い、思い返しながら熊本地震の体験をつづろうと思います。
5月14日 22時7分頃。震度6弱。
その時はちょうどお風呂に入っていて、上がろうとしていたところ。
4歳の次男も一緒でした。(入るの遅すぎとかつっこまないでください。^^;)
うちは道路沿いの家なので、大きなトラックでも通ったかな?と最初思っていたら、次第に大きな揺れに!
立っていられなくて、子どもを片手で捕まえ、逆の手でお風呂の手すりにつかまって耐えました。
一瞬停電しましたが、すぐに電気はつき、少し前に帰った旦那を大声で呼び、子どもを預けました。
私もほとんど拭くこともできず、濡れた状態で服を着て、家の外へ。
外に出ても、ドォーンとかゴォーっていう大きな地鳴りの音が聞こえ、何度も地面が大きく揺れました。
あちこちで、瓦がガラガラと落ちる音。
悲鳴も聞こえたりしました。
近くの義実家に行ってみましたが、義両親も無事。
すぐに別県の父から携帯に電話があり、その時はつながりました。
しかし、その後は母や姉にかけるもすぐに切れてしまいつながらず。
LINEはなんとかつながり、無事であることを告げました。
その間も大きな揺れや地鳴りは続きます。
揺れがおさまっている時に毛布を取りに行き、私と子どもたちは車を車庫から庭に出して、その中へ。
その時は、まだ家電などは落下していませんでした。(思えば、この時、きちんと安全な場所に置いとけばよかった・・・)
5月15日 0時3分頃 震度6強
子どもと私は車の中にいましたが、主人は家に入ってニュースを見ていました。
危ないって言ったのに・・・。
0時すぎに激しい揺れ!
これって、さっきよりすごくない?!
車は激しく揺れ、ひっくりかえるんじゃないかとドキドキしました。
主人はちょっとして出てきましたが、家の中ではいろんなものが落下してすごい音がしていたそうです。
「だから危ないって言ったじゃない・・・」
外では前回よりひどく瓦が落ちる音が響いています。
家の中もどうなっているのか・・・。
でも、とてもじゃないけど恐ろしくて家の中には入れませんでした。
その夜は4人で1台の車に車中泊。
地震は怖いし、足はのばせないしでとても寝れたものではありませんでした。
夜が明けて、家の中に入ってみました。
想像以上にめちゃくちゃな状態・・・。
特にひどかったのはキッチンです。
食器棚が開いて、皿という皿が床に割れて散乱。引き出し類も全て開いています。調味料も床に・・・。電子レンジはへこんで扉がとれてしまっていました。
冷蔵庫は1m以上前に移動。ダイニングテーブルや寝室のベッドなど重くて動かないだろう?と思うようなものが大きく移動していました。
本棚からは本が落下して散らばり、押し入れの布団なども扉が開いて落ちています。
(本棚が倒れなかったのは転倒防止のグッズを下に敷いていたからかもしれません。)
プリンターも落下。
幸いパソコンは無事でした!
壁のクロスはビリビリと破れ悲惨な状態。玄関のタイルも割れて落ちています。
それでも、家が傾いたりしていなかったのは不幸中の幸いです。
15日の日中はまだ大きな揺れもあるし、どうしようもないので、片づけもせずに玄関に近いところで過ごしました。
当然、子どもは中学校も保育園もお休み。
主人は、お水や食べ物を買いに近くのお店へ。
めちゃくちゃになってるけどナフコが開いていたので、床に落ちているものから食べ物などを探して購入してきました。
でも、食べ物っていっても、チョコレートとせんべい、カップ麺少々で、ほとんどなかったらしいです。
お水は1ケースだけ購入できました。
(15日の時点では、うちは井戸水でまだきれいな水が出ていたので、飲み水はありましたが、念のため、と。)
主人の話ではお店もほとんどが開いておらず、道路もいたるところがひび割れたり、家の塀などが壊れていたそうです。
ちょっと激しい揺れがあると慌てて、玄関から外に出るということを何度も繰り返しました。
地震が起こる前って、決まって「ドォーン」って音がするので、それが聞こえるとビクっとしていました。
夕飯はカップ麺を食べました。
普通にご飯を食べられるということがどれほどありがたいことなのかしみじみ感じましたね。
4月16日 1時25分 震度6強
この時、私は次男とベッドで寝ていました。
念のため、メガネはつけたまま、靴下を履いた状態です。
もう大きな地震は来ないだろうと思っていたのですが・・・
甘かった・・・。
激しい揺れで目が覚め、揺れている間は次男を抱きしめてベッドの上から動けない状態。
揺れが収まると慌てて家の外に靴も履かずに飛び出しました。
本当は履いたほうがいいんでしょうけど、その余裕がありませんでした・・・。
主人には、長男と和室で寝るようにお願いして、先に寝たのですが、なんと長男より先にソファーで寝てしまったらしく、長男はあれほど言ってのに二段ベッドの上で寝ていました・・・。
子ども部屋に電気がついていて、主人が長男を起こしていましたが、長男は起きない様子・・・。
私が窓を開け外から大声で叫ぶとようやく起きました。
ホントにもう・・・。
よくベッドも倒れなかったよね・・・。
外に出ると、やっぱり瓦の落ちる音と、ドォーン、ゴォーという地鳴りが鳴り響いています。
今回は少し気が緩んでいたこともあり、2回目より怖くてちょっと震えてしまいました。
それから車の中で寝ましたが、やはりこの日も眠られず・・・。
車中泊はきついです。
朝がきて、家の中はさらにクロスがビリビリに。
でも、昨日既にめちゃくちゃだったので、変わらないと言えば変わらないかも?
少しは片づけをしようかと、キッチンの片づけに着手。
洗濯もしようかと洗濯機をまわし、キッチンでお水を出したところ・・・
水が茶色に・・・。
え!!
びっくりして洗濯機の中を見ると、洗濯機の中の水も茶色に!
どうして~?!
お水が使えなくなり、ちょっとパニック。
食べ物もあまりないし、水も出なくなった?
ガズボンベも鎖で止めてあったのがはずれて、しまい使えない状態に。
結局、旦那の実家が畑の傍の井戸水が透明なので、それでご飯を炊き、お昼は外でおにぎりを食べました。
役場も機能していないのか、避難所の情報や、給水所の情報、支援物資の情報などは一切放送が流れてきませんでした。
隣の町のばかりやたら聞こえてきます。
一体何をやってるんだか・・・。
驚いたのは家の前の道路が陥没してしまったこと。
最初は一か所だったのが、どんどん連なるようにして落ちてしまいました。
私の住んでいる町でもこんなにひどいのはたぶん、ココだけ。
子どもたちが「お腹すいた~」と言うものの、食べ物があまりないのでお菓子などは少しずつあげました。
私も、いつ食べ物が手に入るのかわからないので、できるだけ食べないように。
地震のせいで痩せたかも・・・。
父や姉が宅急便で何か送ろうか?と電話してきたものの、宅急便も受け付けていない状態なのでお願いすることもできませんでした。
支援物資をめぐっては、近所の公民館などで別地区の人が入っているとあげない、などのトラブルも起きていたそうです。
こんな時に悲しいですね。
自分たちはまだ車も運転できるし、家も住めるけど、一人暮らしのお年寄りで被災された方はどうしてるんだろう?
避難所にいる人たちは家を離れて今後のことがすごく不安だろうな、とかいろんなことを考えました。